前半:ネット時代の民主主義について。

「ネット政党」というと夢物語のように聞こえるが、実は小規模ではあるが、実際にやっている国があるという。
もろちん、それが政権を担当したりしている訳ではなく、とれた議席は地方政党でせいぜい1議席だが、あることはある。
ハンガリーの「インターネット民主党」、スウェーデンの「demoex.net」がそうで、これらの政党の理念は「政府はプラットフォームになればよい」という考え方である。思想的な背景はポパー「開かれた社会」で、90年代前半から構想はあったという。

たぶん一番現実的なのは、ネット政党なんだろうな、と思う。
これはつまり、「既存の間接民主制に則って直接民主制を実行する」という非常に面白い試みではあるのだが、まだまだその力は弱いようだ。

その後、「二大政党制批判論」の著者、吉田徹さんによるガチな民主党批判が行われる訳だが。。
自分も民主党にはあまり良い印象を持っていないが、60年以上(いやもっとか?)駄目だった政治を、半年で直せないからといって批判したり怒ったりするのはどうなんだろう…。
政権交代が自己目的化していた、だから政権交代が実現したら目的を失って駄目になっていくんだ、のようなことを言っていたと思うが、そんな「愚痴」を言われても生産的な議論はできないのでは…。
既存の政党が良くなっていくのが理想ではあるとは思うのだが。

そんな中、サーバはショボいけど「ネット議論」は現在試行中とのこと。
官僚や委員会などの「選ばれた人」だけじゃなく、色んな人が政策を議論できるプラットフォームがあるとのこと。
特にロビイストの認知がきわめて低い日本では、こういうものが出来たのは進歩といってもいいのかも。
このプラットフォームは「ツリーフォーラム型」であり、熟議した、意識的な民主主義的なもである。
しかしそうではなく、もっと違う方向性が出せるのでは?と東さんが提案。
そこでおなじみの「ルソー」が登場する。
アメリカ合衆国憲法にも使用されている「ロック」の思想=意識的な契約ではなく、ルソーの思想、つまり一般意思≒大衆の無意識による政府はできないか?熟議した一般意思でなく、無意識の一般意思の確立があるのでは?
時々能動的な熟議に参加そて、大抵の議論では無自覚に呟くだけでいいんじゃないのか。その無意識を的確に反映するアーキテクチャ。それはTwitterではないのか?
フォーラム型は熟議型。Twitterは無意識的なもの。ブログとかだと批判に対しての防衛が始まりにより政治的なものは話しづらい*1Twitterはそれがアーキテクチャ的に不可能である*2
「参加が極少数の役人」から、「皆が意見を言う世界」へ。
オープンソース的発想の政治が現在のテクノロジーでは可能ではないか?と民主主義2.1っぽくなったところで前半終了。

独り言:自分の認識だと、ロックの思想の本質は「契約」でその主体は「自己」。人民が政府をコントロールするといった感じ。それに対してルソーの思想は「一般意思」が本質で、政府は一般意思を粛々と実行してくれればいい、みたいな理解だけどこれでいいのだろうか。
また、「住民投票」はここでいうネット民主主義的なものだと思う。*3。意見はある程度洗練されていて、判断はYesかNo。それが普及すると、政治がもっと身近になって変えられることも多くなる。とにかく現代日本の課題としてあるのは、政治的不信感や、政治に対する虚無感や冷笑をどうにかすることだと思う。

*1:今まさにそんな感じ

*2:140文字なんで、議論が成立しえない。言葉も足りなくなるし。これがアーキテクチャの制約で、詳しくは濱野智史さんの本とか読むと良いかも。

*3:実際直接民主制だし