Fate/Grand Orderにおけるギルガメッシュリセマラについて(速報)

先ほど、とうとうギル様を引いた。
カウントし始めたのが30回くらい引いた後であり、カウントミスもあるかもしれないが、少なくとも208回はガチャを引いた*1
208回ガチャを引いてギル様が1回以上でる確率は77%である*2
長かった…。今までのクセでついアンインスコしないよう、即座にバックアップを取った。
以前も書いたが、アンリ・マユをもう1回引いてしまった。また引くときはあるのだろうか。
なお、召喚確率は概ね記載されている確率と等しい結果だった。

  • 星3礼装:40%、記載確率:40%
  • 星3鯖:38%、記載確率:40%
  • 星4礼装:13%、記載確率:12%
  • 星4鯖:2%、記載確率:3%
  • 星5礼装:4%、記載確率:4%
  • 星5鯖:1%、記載確率:1%

以下、詳細な内訳。

今後、より詳しく考察していく予定ではあるが、ギル様を引いた喜びでいつになるか分からないので、とりあえず速報として報告する。

*1:おそらく250回は引いたのではないだろうか

*2:計算式は、引く回数をn、ギル様が出る確率をGとすると、n回引いて確率Gがすべて外れる確率の排反を求めればよい。すなわち、1-(1-G)^nを求めればよい

Fate/Grand Orderにおけるギルガメッシュリセマラについて(第1報)

1.動機
 筆者はFateが好きだ。2006年に放送されたディーン版のアニメ「Fate/stay night」を観てからファンになった。当時高校生であった。
 プレイしたもの、読んだものは「stay night」の他は「hollow ataraxia」、「Zero」、「プリズマ☆イリヤ」くらいであり、すべての派生作品を追いかけている訳ではない。
 特に近年、スマホアプリである「Fate/Grand Order」(以下FGOと略記)は凄い人気であり、プレイ人口も多くFate人気の一翼を担っているが、筆者は手を出さずにいた。
 深い理由がある訳ではない。確かにサービス開始の2015年夏は、筆者は社会人3年目で、転職活動をしながら会社員生活を送っていたため私生活にゆとりがなかった。開始直後にプレイしていなかったため、その後もスタートダッシュキャンペーン等があったが、今更感もありプレイしてこなかった。
 しかし近年、FGOは若い人にも普及し、ガチャで爆死やら面白そうなイベントやらが多く、もうここまで来たら逆に今からプレイするのもありなんじゃないか?と思えてきた。
 どうせ今更プレイするのであれば、リセマラなんぞをしてみようと思い、2018年9月19日からプレイを始めた。
 狙うサーヴァントは、もちろんギル様だ。

2.途中結果
 リセマラをし始めて5日経った時、累計30回ほどガチャを回したと思うが、ギル様どころか星4サーヴァントも出なかった。
 確率を計算してみれば当然であって、ギル様の確率は0.7%、星4サーヴァントの確率は3%なので、30回で1回以上出る確率は、前者は1-((100-0.7)/100)^30=19%、後者は=1-((100-3)/100)^30=60%だ。
 そこで、どのような結果になるか気になったので、出てきた結果をexcelに記述・まとめることとした。
 100回ガチャを回した結果、まだギル様は出ていない。星5サーヴァントは出た。本集計とは別の話だが、フレンドポイントガチャでアンリ・マユも出た。出るまで回せば出る確率は100%だが、概ね記載されている召喚確率と等しい結果だったので、第1報として以下に報告する。

  • 星3礼装:36%
  • 星3鯖:39%
  • 星4礼装:15%
  • 星4鯖:3%
  • 星5礼装:5%
  • 星5鯖:2%

以下、詳細な内訳。

 なお、ギル祭りは2018年10月3日までである。ギル様を引くか、ギル祭りが終了するまで、筆者は挑戦し続ける所存である。

機動戦士ガンダムAGE 第13話

「俺、この戦闘終わったら……」な死亡フラグを立てながら、敵の本拠地への乗り込み開始。
戦闘前の緊張したクルー内の雰囲気が良かった。こういうのがあるとガンダムっぽいな。まぁ、あんまりディーヴァ仲間の関係性描写をやっていなかったので、掘り下げ不足を感じたけど。
ディーヴァが変形して木馬となった。AGEシステムの汎用性の高さは異常。つか、どんなデータを解析したら忍者にしたり木馬にしたりするんだろう……。AGEシステム恐るべし。
UEの皆さんは選民思想をお持ちなようで。「地球種めッ……」という台詞は悪役っぽいし判りやすくて良いけど、見た目が完全に地球種と同じなんですけど。どうやらUE側の事情はフリット篇最後まで明かさなそうだなぁ。エックス領域が関係していそうだけど。
作戦は、巨大キャノンの有効射程までを皆で頑張ってこじ開けろというゴリ押しなもの。こんなん作戦って言わねぇよ。戦術予報士が居ないから仕方が無いか。……いや、あの飲んだくれ戦術予報士もこういうゴリ押し作戦をよくやっていたような……。
エックス領域が活性化した忍者のガンダム無双。敵が大量に居る時なのに、どうして近距離しか使えない忍者を使うのは何故?と思ったけど、バッサバッサ敵をなぎ倒していく姿はちょっと格好良かった。リーチが短くて大変そうだったけど、そこはほら、忍者ですから。
ラクトさんの特攻大作戦。つかこの作品特攻好きだなおい。流石に今回は戒めていたけど。少しはフリットも成長している、ということなのだろうか。それにしては、最終的にMS工房の人が持ってったけど。つかあの人、短時間でMS創るし、戦闘力も高いしで、最強なのでは。
魔少年と調教されたユリン。魔少年の顔芸が凄いことに。ユリンが通常の状態で戦う訳が無いと思うので、洗脳されていたりするのだろうか。

機動戦士ガンダムAGE 第14話

ユリンが死んでフリットブチ切れ。
ユリンがUE側についたので、てっきりユリンと戦うのかと思ったら、魔少年に「道具」扱いされてました。ヒデェよなんて鬼畜なんだ。だけどカラーリングはピンクという特別感満載でファンネルもついていた。地味な色でいまいち量産機との違いがよくわからねぇデシルの機体よりも高性能なんじゃねぇのコレ。
流石に人が載っているということで、躊躇するフリット。つか、今までの機体は遠隔操作だったのになんで今回は載っているんだろう?やっぱ「生」の方が反応が良いとかそういうのがあるのだろうか。
ガンガン攻められてボロボロになるガンダム。今まで苦戦したことが無かったので、ちょっと新鮮だった。ファンネルの多方面攻撃を、物凄いポーズで避けていたのは笑った。ファンネルを叩き斬る描写をやって欲しかったが、忍者刀ではリーチが短いから無理か。
フリットを庇ってユリン死亡。この作品、本当に「ガンダムを踏襲」しようとしているよね……。こういう所は本当に真面目だと思う。まぁ、どういう評価に繋がっているのかはよく判らないけれども。
その後、フリットがブチ切れてデシルを倒す。トドメを刺さなかったところがこの作品らしいなぁ……。絶対コレ再登場フラグだよねー。ボロボロになった忍者を捨ててタイタスへと換装。突破口をぶち開ける……って、本当に持ち上げたー!!なんか、とってもシュールだったんだけど、笑っていいのコレ?
次回はとうとうフリット篇ラスト。UEの目的が判明するみたい。
しかし、ユリンが死んで「闘いは嫌だ……」となるのではなく、「UE許せねぇ!闘士が湧いてきたぜ!!」となったのは興味深い。しかも、直接の原因となったデシルは殺してない訳だし。このまま一種の暴走状態になってしまったフリットはどうなるのだろうか。

機動戦士ガンダムAGE 第12話

元旦なのに通常営業な、グルーデックさんとケツアゴの艦長指揮対決。元旦だけにガンタンクってか。
正直、艦長の采配対決は微妙だったけど、厳密に「敵」という訳ではないから仕方ないか。
神出鬼没なUEの乱入の所為で有耶無耶になった連邦軍との闘い。チョコ好きなケツアゴと謎の友情が築かれていたけど、誰得なんだろう。まぁ、上が何も考えていないばっかりに独自に動く部隊と、それを黙認する連邦軍というのはガンダムっぽいといえばそうだけど。やりたいことは判るんだけど、全体的になんか微妙なんだよなぁ……。基本的にコメディタッチだからかなぁ。ケツアゴって初登場時完全にネタキャラだったじゃないですかー。こいつもザラムとエウバみたいに今後味方になるのだろうか?
フリットの能力がエックスラウンダーだと判明。いや、そこは普通にニュータイプでいいんじゃなイカ?普通の人間は使わない「エックス領域」を使っている人間……って、今更「脳」ですか。人類の進化とかじゃ無いんか。「エックス領域を活性化させれば敵を楽々倒せます」ってか。エックス領域トレーニングとかすれば良いのだろうか。脳トレみたいに。「エックス領域を活性化させる着メロ」とかが発売されるのだろうか。苫米地みたいな人が開発して。
魔少年と仮面チョーにより、ユリン敵キャラフラグが。こいつもエックス領域が活性化している感じなのか?それにしても、いい加減敵側の事情を明かして欲しいんだが……。もうすぐフリット篇終わるんだし……。
あと、エックス領域がまったく活性化していない、今までずっとやられ役だったラーガンが微妙に活躍していた。どうやらドリルビームライフルを使っていたからUEを倒せたみたい。やっぱりAGEシステムで創った武器って互換性があるんだね。

2011年の総括

「今年の様々なものをランク付けして総括しよう」のコーナー。
しっかりと検討したわけではないし、自分が観ていない作品もあるので、当然ながら完璧なランキングではないのだが、印象に残った作品を概観する意味でランキングをすることにした。
各々のランキングは10位までとなっている。本当は「次点」とか付けようかなとも思ったが、それでは収集がつかなくなるのでやめた。
独断と偏見と直感で決めているランキングだが、「カードの切り方が人生」ということで。

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輪るピングドラム 第24話(終)

感動の最終回。
しかし、やはりというべきか、直接的に「答え」は言わないような、そんな「もやもや」が残る最終回であった。
いや、ある意味では物凄く「判りやすい」話だ。
この物語は「愛」の話なのだ。「愛」ほど普遍的なテーマは無いだろう。
「愛」を様々なモチーフを使ったり、斬新な演出で語っている物語なのだ。
登場人物の名前や要所要所で隠喩されている「銀河鉄道の夜」も「愛」の話なのだ。
故に、ある意味では物凄く「直球」な物語だと言える。


「愛」故に、登場人物は「自己犠牲」的な行動に出る。
何故なら、「愛」とは「他者への共感」だからだ。
相手の立場になって考えること。
相手の痛みを自分の痛みを同じものであるとに考えること。
「すべてはひとつである」と考えること。
それが、「自己犠牲」であり、「愛」なのだ。
様々な解釈が出来るが、自分は「ピングドラム」とは「愛」のことだと思う。
ひとつしかない林檎を分け与えることが出来るのは、「愛」故だと思う。
呪いの炎に焼かれる代償を払ってまで他人の運命を「乗り換え」させようとするのも、「愛」故だと思う。
「運命の果実」である「林檎」は、「愛」の象徴である。
だが「ピングドラム」の本質は、「愛」ではなかろうか。


最終回で、「呪いの炎」とは「蠍(さそり)の炎」であることが判明した。
「蠍の炎」とは、「銀河鉄道の夜」の中でも屈指の名エピソードである。


このエピソードを簡単に紹介する。
小さな虫を殺して食べて生きていたサソリが、ある日イタチに見つかって食べられそうになる。サソリは懸命に逃げ、井戸の中に落ちて溺れてしまう。
そのときサソリはこう祈ったという。

過去に自分はいくつも命を奪ったのに、どうして私は私の体をイタチにくれてやらなかったのだろう。
そしたらイタチも一日生き延びただろうに。
どうか神様、こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私の体をお使い下さい。

それ以降、サソリのからだは真っ赤な美しい火になって、いつまでも夜の闇を照らしている……というエピソードだ。


このような描かれ方が、ピングドラムでも描かれている。
桃果は、「宮沢賢治の世界」を体現しているようなキャラである。他者の幸せのために、自らが文字通り「炎に焼かれる」のだから。


また、冠葉の行動原理も「他者のため」である。
幼い頃、自分だけが生き延びるのではなく晶馬も助けようとした。
真砂子の窮地では、身を挺して助けようとした。
陽毬を、自らの命を捧げてまで助けようとした。
すべては「自分よりも他者」という行動原理である。


苹果は、最初の頃は日記帳を「自分」の運命のために使っていた。
しかし、その日記帳は「他者」のために使われるものだったのだ。
多蕗に対する愛情も、「運命」という抽象的なものによって決められたものであって、真に多蕗を思ってのものでは無かった。
故に、中盤以降の苹果はまるで別人のように性格が変わる。
最終回では、陽毬を思って自らを犠牲にするほどである。
苹果の行動原理の違いは、「運命」か「他者」かで、大きな違いがあることがわかる。


眞悧は逆に、人間が嫌いで、行動原理が「利己的」であると思う。
冠葉に協力していたのも呪文が書かれている日記帳を燃やすためだし、他者が苦しんでいるのを楽しんでいるようだ。
そこに「愛」は無いだろう。眞悧が自称するように「呪い」なのだろう。
他者へ干渉するという意味では「愛」も「呪い」も同じだが、その効果は正反対だ。
眞悧の行動は、他者のためを思ってのことではない。そう見えたとしても、本当は利己的なものなのだろう。
故に、物語で桃果と眞悧が対立するのはよく判る。
桃果は「利他的」であり、眞悧は「利己的」だからだ。
眞悧が世界を壊そうとした理由は、「自分が人間が嫌いだから」という、利己的なものだ。
桃果の行動は、「自分を犠牲にしてでも他人を助けよう」という、利他的なものだ。
列車は、大勢の人を乗せて走る利他的なものだ。眞悧は列車を待つが、果たして列車はもう一回来るのだろうか。その列車には、乗客がどれくらいいるだろうか。


物語の結末は、冠葉と晶馬が自らを犠牲にして、陽毬が生き延びる運命へと「乗り換える」というものだった。
その世界では、冠葉と晶馬は最初から存在していない。
陽毬と苹果の記憶もすっかり変わってしまっている。
眞悧を滅ぼすことは出来ず、世界には「失われた子ども」がたくさん居るだろう。
冠葉と晶馬は、運命を切り拓いたのだろうか。
運命に殉じただけではないのだろうか。
陽毬が生き延びる運命を手に入れるためには、「愛」が必要だったのは確かだ。
それも、その「愛」を、輪さなければ実現出来ないものだった。
だから、残された人たちは、その「愛」を受けて、幸せを見つけなければならないのだろう。
桃果が、そして冠葉と晶馬が残した「愛」は、きっとこれからも輪り続けるのではないだろうか。
そんな希望の残るようなラストだったのではないだろうか。


全体としては、作画演出にとても力が入っておりキャラも個性豊かで、「生存、戦略ー!」という台詞等のキャッチーさ・話題性がある一方で、内容は文学的であり抽象的でありと、二重構造のような作品という印象を受けた。
画面が出てくるエネルギーやキャラ同士の掛け合い、ペンギン達の動きを見ているだけでも楽しめるが、深く考えようと思えばどこまでも掘り下げられるような、不思議な魅力に詰まった作品だったと言える。
ただ、「よく判らない」という批判があるのも頷けるような構成だったのは確かなんだよなぁ。
TVシリーズとして、2クールもののアニメとして、もう少し「すっきり」としたものに出来なかったのだろうか。
事実として、まだ作品内容について「もやもや」としたものが残っている。
特に、「銀河鉄道の夜」と「オウム事件」を絡めて語るという「ヤバさ」については、未だに自分の中で腑に落ちていない。
この「もやもや」を消すためには、もう一回初めから見返すとか、小説版を読んでみるとか、監督のインタビューを読んでみるとか、他の人の評論を読んでみるとか、自ら語ってみるとかしないと、消えないだろうなぁ……。
それでも、毎週楽しませてもらったし、このような作品に出会えたことは本当に幸せだった。
スタッフの皆様、お疲れ様でした。