フラクタル:簡易評
あまり語る言葉を持っていないというのが本音なのだけれど。
自分の「フラクタル評」は、アニメ評論家の藤津亮太さんが朝日夕刊に載せた文章と近い。
萌えなどの過剰なサービスに傾いた現代のアニメ、だが虚飾をはげばそこには愛するに足るアニメの本質が存在する。
そんな願いを込めた、アニメによるアニメ業界批評にも見える作品が「フラクタル」だった。
(引用元: http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1390.html 強調は引用者による。)*1
この評論は、自分の言葉で思いっきり意訳すると
「ストーリーやキャラクター、世界観について色々わからないことや謎がいっぱいあるけど、こういう風に色々『深読み』したり『裏読み』したり『妄想』できるし、してみたら楽しいよ」
と言っているのだと思われる。そして自分は、フラクタルについては「そうするしか無いのではないか?」と思っている。
東浩紀はUstream*2にて「アニメで脚本を書く予定だったが下ろされた」*3だとか、「ラストをどうするか決めていなかった。補足すると、自分(東)と岡田の中でのラストシーンは決めてあったが、最終決定権は監督にあるので、そういう意味で決まってなかった。」等の発言もあった。
更にダ・ヴィンチにて連載中の「フラクタル/リローデッド」*4を読むと、例えば色々なシーンを見ても「原案はこういうコトがやりたかったのでは?」「この設定ってもしかしてこういうこと?」「この話数の意味することは?」等、考えてしまう。否、妄想してしまう、という方が正しいのかもしれない。
ちなみにこの「フラクタル/リローデッド」は、「ダ・ヴィンチ5月号」にて連載終了。
続きは「小説版」として発売することが決定している…が、前述の通り東浩紀はあまり小説版を書く気が無く、ぶっちゃけ売れるかどうか分からないから発売しない可能性もある。
何しろDVD/BDが883枚しか売れてなく、ノベライズ板がこれと同等にしか売れない(いやそれ以下か?)ということを考えると書く気力も沸かないだろう。
観ていて「つまらない」わけではない、しかし「面白い」わけでもない、という、「正直よく分からん」という感想を持った。
色々とインタビューとか読んで、観返して、何か「納得」したら初めて評価できる作品、ではないだろうか。
何しろ設定やテーマがよく分からないのは、「簡単には理解させないようにしている」からなのか、果たして「創ってる自分達もよく分かっていなかったから」なのか、それすらも分からない状態なのだから。
ただ、何か「気になる」ものがある。モヤモヤが残るが、何かあるような「気がする」。
語りたいような、考察したいような。
語れないような、考察する価値も無いような。
自分にとっては、そんな作品であった。