「ストーリーベース」と「キャラクターベース」;虚淵玄と新房昭之

作家には2種類ある.

「ストーリーを中心に考える」か,「キャラクターを中心に考えるか」,だ.
この考察では,前者を「ストーリーベース」と言い,後者を「キャラクターベース」と言うことにする.


この2つのことを考えたとき「魔法少女まどか☆マギカ」において,「虚淵玄」は完全に「ストーリーベース」の作家であろう.
そして「新房昭之」は「キャラクターベース」の作家であると考えられる.


まず,虚淵玄がストーリーベース作家であることの考察をする.
虚淵玄の作品は,ストーリーが良いと評判であるが,その作品の「二次創作」は少ない.
このことは,美少女ゲーム界で同じ「ストーリー重視作家」であると思われる「奈須きのこ」の作品の同人誌は多いことを考えると,少なさは際立つのではないだろうか.
例えば,Fate/stay nightのコミックアンソロジーは21巻まで出ているし,同じく美少女ゲームで有名な「Key」の作品もアンソロジーは数多い
しかし,虚淵玄作品の「鬼哭街」や「沙耶の唄」のアンソロジーは発売されていない.*1
「魅力的なキャラ」が居ないというわけでは無いが,「ストーリーありきのキャラ」なので,二次創作が作りづらいのではないだろうか.

同じようなことを,新房昭之が「メガミマガジン 2011.7月号」別冊付録の「魔法少女まどか☆マギカ COMPLETE BOOK」内にある監督インタビューにて,こう発言している.

ストーリー重視の作品だったので,ホントのことを言うと,キャラクターものとしての形も見てみたかったなという思いがあります.やっぱりストーリーのためにキャラクターを動かすと,なかなかキャラクター寄りの話が作れないんです.*2

その後新房昭之は,その具体的内容について「キャラクターで遊ぶような感じ」と言っている.
まとめると,「キャラは魅力的だが,ストーリーベースで作られているので,動かしづらい」といったところになるだろう.



新房昭之は「ストーリーベース」なのか「キャラクターベース」なのか,どちらなのだろうか.
先ほどの発言からは「キャラクターベース」作家であることが想像できる.
具体的に作品の内容で考えてみよう.
近年の新房作品は「原作モノ」が多い.*3
なのでここでは,オリジナル作品である「The Soul Taker 〜魂狩〜」と「コゼットの肖像」について考察することにする.
この2つの作品についての評価でよく言われることは「分かりにくい」である.
これは「脚本や設定としては分かりやすいのだが,映像として観たら分かりづらい」つまり「映像を説明的ではなく感覚的に創っているので分かりにくい」なのか,「脚本段階から複雑なことをやっているので分かりにくい」なのかは分からない.
ただひとつ言えることは,「キャラクターを描写する演出は素晴らしい」ということである.
例えば,「コゼットの肖像」においては,コゼットを「少女として描く」ことの美しさが際立っていた.
また,「The Soul Taker 〜魂狩〜」に登場するキャラクター中原小麦は色々な意味で素晴らしかった.
このキャラの人気は非常に高く,ソウルテイカーの放送終了後,このキャラクターが主役のスピンオフ作品「ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて」という作品が創られるくらいであった*4

他にも,「デフォルメキャラが画面をチョコチョコ動きまわる」演出や「ストーリーよりキャラクターを魅せる」のが巧いことから,新房昭之は「キャラクターベースの作家」と言えるのではないだろうか.


基本的に,アニメの世界では「キャラ中心」の作品が多い.
例えば,昨今流行りの「萌え系・空気系」作品.
これらの作品において重要なのは「如何にして魅力的なキャラクターを描写するか?」であって,基本的にストーリーは軽視される.
いや,むしろストーリーは「要らない」と断言して良い.
何故なら,ストーリーがあると,キャラクターは「変化」してしまうからだ.
現実的に考えた場合,一人の人物がずっと同じ性格を保っていることは考えにくい.
しかし,「キャラクター作品」ではその同一性が重視される.
そのキャラが「らしくない」行動を取った時,このことを「キャラ崩壊」と呼び,「〇〇はこんなこと言わない」という批判が起きる.
もちろん,その指摘が正しい時もある.
アニメは多くの人が関わって出来ているし,多くの視聴者もいる.
その中で,ある人のキャラ解釈と他の人の解釈が「ズレて」しまうことは当然起こりうることだろう.
しかしこの「ズレ」があまりにも激しいと,「キャラ崩壊」と呼ばれてしまう.
このことは,脚本段階で起こることが多いと思われる.
ひとつのアニメ作品において「一人の脚本家が全部そのアニメのシナリオを書く」といったことは稀である.
通常は複数の脚本家が参加し,ひとつの作品を創り上げる.
その中で,脚本家の解釈違いによって,「キャラ崩壊」が起こることもあるだろう.
もちろん,ひとつの作品の中でキャラクターの一貫性・整合性が保たれるようにする*5のだが,それでもやはり「違い」は出てしまう.
また,漫画やラノベといった「原作付きアニメ」の場合,アニメオリジナルで終わりをつける必要があるというパターンが多い.
その場合「最終回まで残り2・3話で今までのキャラの行動原理や世界観から外れて,とりあえず物語を一旦締めるために動き出す」展開になることが多い.
この「無理な行動」は「キャラ崩壊」に結びつきやすい.


また,「死」を描写する時はどうなるだろうか.
キャラクターベースでは,「キャラクターの死」はできるだけ避けたい話題である.
「死」んでしまったら,そのキャラクターを再登場させることは難しいので当然であろう.
ストーリーベースでは,必要になったらむしろ「死」なないと違和感が残ってしまうことがある.
物語において死ぬ必然性が出てきたのに「このキャラ好きだし人気あるから生き残ることにしよう」としたら,物語は破綻してしまうだろう.



以上のことを考えると,「魔法少女まどか☆マギカ」という作品はどうなのだろうか.
「ストーリーベース」の虚淵玄の脚本を,「キャラクターベース」の新房昭之によって味付けする.
また,「キャラクター」において重要な「キャラクター原案」に「蒼樹うめ」を起用したことも大きいだろう.
「蒼樹キャラ」のビジュアル的インパクトは,キャラクター描写の大きな位置を占めている.
それをアニメ的に巧くアレンジした「キャラクターデザイン」の「岸田隆宏」の仕事も大きい.
また,「シリーズディレクター」の「宮本幸裕」は,重要な1話と12話の演出を担当したり,DVD2巻のブックレットにあるよう「冷静な対処をしながら作業を進めた」そうだ.
「ストーリー」部分ではこの人の仕事も大きいだろう.
また,「作品世界を広げた」役割として,実写的な「背景演出」をした美術チームの役割が大きい.
また,話題となった「イヌカレー空間」こと「劇団イヌカレー」による「異空間設計」も世界観を広げている.
イヌカレーによる「魔女のデザイン」は,この作品の深みや幅を広げるのに大きく貢献している.
「キャラ」部分として忘れてはならないのが「声優陣」達の熱演である.
各声優陣の魅力を大きく引き出す脚本・演出であった.
「音」関係では,梶浦由記の音楽も「作品世界」に大きな影響を与えている.*6
これらスタッフの「化学反応」が,「傑作」を創りだしたと言える.

補題;「キャラクターベース作家」と「ストーリーベース作家」の差異

「キャラクターベース作家」と「ストーリーベース作家」の違いを考察するために,2人のアニメ監督を考えてみよう.
宮崎駿」と「今敏」である.
自分の考えでは,宮崎駿は「キャラクターベース」の作家であり,今敏は「ストーリーベース」の作家である.
具体的に考察してみる.
宮崎駿の作品の中には,「ストーリーベース」の作品もあることは事実である.
例えば漫画版の「風の谷のナウシカ」のラストを読んでしまったら,これの続編なんて考えられないだろう.
また「もののけ姫」も,あの映画の終わりからまた「新たな物語」が始まる…というのは考えにくい.
しかし「となりのトトロ」の続編は考え易いだろう.
現に「めいとこねこバス」という作品がある.*7
このように「キャラクターベース」の作品だと続編が作り易いだろうし,また視聴者も「このキャラ達の活躍をまた観たい」という風に続編を望まれやすいのではないだろうか.
しかし,今敏監督の場合そうはいかない.
例えば,「東京ゴッドファーザーズ PartII」なんて想像できるだろうか?

これはある意味「ストーリーを重視しすぎる弊害」であるといえる.
「ストーリーを重視する」とは,「物語をキチンと完結させる」ことを意味し,これの帰結することは「続編が創りにくい」ことである.
キャラクターベースで考えていたら,あるエピソードが終わっても,同じキャラで続編が「創りうる」だろう.
しかし,ストーリーベースで考えていたらそうはいかない.
「ストーリーの終わりと共にそのキャラクターの役目も終わってしまう」──これでは,その作品世界で続編を創るということは難しいだろう.*8




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*1:同人市場での調査はまだやっていないが,感覚として虚淵玄作品の同人誌も「少ない」と思われる.

*2:前掲書 p.8

*3:とはいえ,その中には「ぱにぽにだっしゅ!」や「ネギま!?」といった「原作とはほぼ別物の作品」もある.

*4:ちなみに,この作品の世界設定・ストーリーは『ソウルテイカー』とは関連性が無い.

*5:例えば監督であったりシリーズ構成の人であったりプロデューサーであったり,原作付きの場合は原作者だったりがその役目をする.

*6:長くなってしまったが,いずれこれらのことが作品世界に与えた影響を各々考察してみたい.

*7:これは正確には「続編」ではなく「派生作品」としているようだ.しかし,「パンダコパンダ」のように新作を製作することは簡単だと思われる.

*8:この段落は2005年2月20日放送「トップランナー 今敏ゲスト回」における,今敏の発言を引用・改変している.