「キャラクター軸」と「ストーリー軸」による作品分類・考察

自分の中では,「キャラクター」は「横に広がる平面」というイメージである.

物語を,作品世界を広げてくれるものこそ,キャラクターである.(注:画像はイメージです)

「ストーリー」は「縦へと伸びて高いとこへ行く」というイメージだ.

積み上げて,高いとこへと登っていくものこそ,ストーリーである.(注:画像はイメージです)



前のエントリで,「キャラクター」と「ストーリー」を対比させて考えたが,この2つは本来対立するものではない.
「キャラクター」と「ストーリー」は対立概念ではなく,方向性の違いである.
そう考えると,物語の評価軸として「キャラクター軸」と「ストーリー軸」の2つがあることが分かる.
この記事は,その「軸」を使って,作品を分類・考察していくものである.
「軸」を使って「キャラクター性が大or小」「ストーリー性が大or小」と,4つの象限に分ける.
すると,以下の図が出来上がる.便宜的に,それぞれの象限に名前を付けた.

1. キャラクター性:大ストーリー性:大「理想」的
代表的な作品は「魔法少女まどか☆マギカ」,「新世紀エヴァンゲリオン」等.

キャラクターが好きな人はキャラクター描写を楽しむことができ,ドラマが好きな人はストーリーを楽しむことができる──この2つを同時に満たすことは,物語にとって「理想」といえるのではないだろうか.
これらの作品群において,重要なのは「ストーリー」と「キャラクター」のバランスである.ストーリーを重視しすぎるとキャラクター描写がおざなりになってしまう*1
かといってキャラクター重視しすぎると,ストーリー重視の視聴者から「この話数,要らねぇ」と言われてしまう*2
「どのような比率で物語を進めていくのか」というバランス感覚が重要となってくる.


2. キャラクター性:大ストーリー性:小「萌え・空気系」的
代表的な作品は「苺ましまろ」,「けいおん!」等.

これらの作品群において,重要なのは「魅力的なキャラクターの描写」と「ドラマ性の排除」である.
ドラマ性が無いことの利点を考察してみる.
ドラマ性が強いと,1回でも見逃したらもう話が分からなくなってしまう.これは,多くの人に見てもらおうとする作品においては避けたい状況だ.
「もう何話もやってるけど,話題になってるので今週の話観てみた.そしたら意外と面白かったからこれから続きも観る予定だし,機会があったら始めの方も観たい」というのが,商業アニメーションとしての理想では無いだろうか.
よって,「ドラマ性の排除」は一概に悪いとはいえない.
「魅力的なキャラクター」を創ることは,「キャラ商品」の売り上げに直結する.これもやはり商業アニメーションとして目指すべきところだろう.


3. キャラクター性:小ストーリー性:大「短編」的
代表的な作品は,星新一らの「ショートショート」,藤子・F・不二雄や手塚治虫らの「短編集」
他にも「メインとなるキャラが居るが,ひとつひとつのエピソードごとの登場人物のキャラクター性がほぼ皆無」といった作品もここに分類出来る.
短編やショートショートといった作品の定義とは何か.それは「ページ数が少ない」ことである.
ページ数が少ないということは,キャラクターを掘り下げる余裕が少ないということを意味する.
故にこれらの作品群では,メインとなるのは「ストーリーのアイディア」であってキャラクターではない.
これらの中には,匿名的なキャラクターや無個性的なキャラクターが多く登場する*3
また,最近では「お約束的キャラクター」「テンプレ的キャラクター」を短編に登場させるパターンも増えている*4
アニメ作品の中ではあまり無いかもしれない.
少なくとも自分は思いつかなかった.
ここに分類できる作品を知っている人がいたらコメントをお願いしたい.


4. キャラクター性:小ストーリー性:小の「読み捨て」的
代表的な作品は,「植田まさしの4コマ」,或いは「気軽に楽しめる作品」
アニメ作品で言うと「ギャグマンガ日和」といったような短編ギャグ作品

キャラクター性もストーリー性も無い──そのような作品とは一体なんだろうか?
「読み捨て系」と名付けたこれらの作品のことを,自分は「毒にも薬にもならない作品」と呼んでいる.
その作品を鑑賞しても,時間は潰せるかもしれないが,「何も残らない」──そんな作品のことだ.

ちなみに,自分はこの作品の中には「ドラえもん」や「サザエさん」といった「国民的アニメ」は入らないと考えている.
何故なら,これらの作品群は「キャラクター性」というものがとても強いからだ.
「昭和の漫才」みたいなものを考えるとわかりやすいかもしれない.
漫才師といったような「パーソナリティ」は前面に出ず,「ネタ」で勝負する──そんな作品群のことだ.

こういう作品群のことを,もしかしたら「良くない」と思われるかもしれない.
しかしよく考えて欲しい.
「作品を語ること」や「心に傷を残す=後に残る」作品というのは,果たしてほんとうに素晴らしいことなのだろうか?と.
何も考えずに作品を鑑賞し,観終わったら「アー,オモシロカッタ」で終わり,生きるための活力にして日常に,現実に還る──.そういった態度が本来的なのではないだろうか?



■結論
以上のように,簡単ではあるが「物語」を「キャラクター軸」と「ストーリー軸」で分類・考察してきた.
他の評価基準もいくつか考えられると思う.例えば「世界観・設定・雰囲気」といった要素がある.今回はそれを「分類」せずに,「その要素をキャラクターの描写のために使うか,ストーリーの描写のために使うか」で分かれていると考えた.
あくまでも「どちらに使うか」で決まる.「世界観・設定・雰囲気」を目的にすると駄目になるのではないだろうか.


*1:「物語」のために動く「神話的キャラクター」になってしまう.

*2:ミステリにおける「事件以外のパート」を「要らねぇ」と思う人は多いのかもしれない.だけどそこを無くしてしまったら,ミステリは「パズル」や「クイズ」となってしまい「物語」として破綻してしまうのではないだろうか.同様に,物語において「ストーリー」を重視しすぎると「プロット」と同じようなものになってしまう.流石に「物語」と「プロット」は大違いだろう.「物語は細部に宿る」のだ.

*3:例えば「そもそも名前が設定されていない」ようなキャラクター.

*4:例えば,「ツンデレ」といった「よくある」キャラを敢えて登場させて説明を省く,のような.