twitter公共論@暫定的完成版

1 はじめに──twitterについて

 twitterとは,2006年7月にObvious社(現twitter社)が開始した,個々のユーザーが「ツイート」 (tweet) と称される,140以内の文章を投稿し,閲覧できるインターネット・コミュニケーション・サービスである.twitterの意味は「さえずり」「無駄話」または「なじる人・嘲る人」であり,tweetは「鳥のさえずり」という意味で,日本では「つぶやき」と意訳され定着している.
 twitterの特徴を一言で説明すると,「インターネットを通じて140字以内の『つぶやき(Tweet)』を不特定多数にリアルタイムに発信し,自分で選択した他人の『つぶやき』を受信するサービス」である.
 利用者数は,細かい数字は公開されていないが,全世界で1億人以上であると言われている.日本の利用者数は,2011年5月の時点でのニールセン社が実施した調査によると,1466万人と推定されている.また,現在1日あたりのツイート投稿数は2億ツイートを突破している.
 有名人がtwitterを利用するという例も増え続けている.例えば,米国では,ビルゲイツ (@billgates),タイガーウッズ (@tigerwoods),ロシアではメドベージェフ大統領 (@MedvedevRussia)等が利用している.日本では,孫正義(@masason),宇多田ヒカル (@utadahikaru),つぶやきシロー(@shiro_tsubuyaki)など多くの著名人が利用している.
 また,政治にtwitterを利用しようとする試みも活発である.米国では,2008年の大統領選挙の選挙運動で,オバマ陣営が巧みにソーシャル・ネットワーキング・ツールを使いこなしたことで話題となったが,その中にはtwitterも含まれていた(@BarackObama).また,オバマ大統領は7月6日,ホワイトハウスで,twitterを通じて寄せられた質問に口頭で答え,インターネットで中継する形式での国民との対話集会を開いた.この集会でtwitterを通じて寄せられた質問の数は6万件以上あったという.日本では,鳩山由紀夫前首相(@hatoyamayukio),蓮舫参議院議員(@renho_sha),橋下徹大阪府知事(@t_ishin)などがtwitterにて情報発信を行っている.他にもtwitter議員と呼ばれる議員が,twitterによる情報発信や国民とのコミュニケーションを取る,という活動を始めている.また,政府の情報もtwitterで発信していこうという試みもあり,総務省消防庁(@FDMA_JAPAN)や外務省(@MofaJapan_jp)がある.
 ジャーナリズムにtwitterを利用しようとする試みもある.例えば2010年に発生したハイチ大地震では,現地の被災者が自らtwitterを通じて情報を発信して,ロサンゼルス・タイムズ紙など複数の大手メディアが,それらの情報の裏を取った上で,引用して掲載するという手法を取った.既に米国ではtwitterに流れる情報が,既存マスメディアが報道を行う際の情報源となっているのだ.シカゴ大学のデポール大学の大学院で教鞭を執るクレイグ・カナリーは「ツイッタージャーナリズム」という授業において「今後の職業ジャーナリストは,ツイートの信頼性を判断するという役目を新たに負うことになる」と,既存マスメディアやジャーナリストの役割や仕事が,ソーシャルメディアによって新たに追加されたことを指摘している.
 これらの用途以外にも,twitterは様々な目的で使われている.このレポートでは,最近ではTVや雑誌等に取り上げられることも多いこのサービスを,「公共性」という言葉を鍵として考察したいと思う.その際,twitterの特性というものを理解する必要があると考える.筆者が考えるtwitterの特性は,以下の5点である.

  1. リアルタイム性
  2. 情報拡散の範囲・速度
  3. インタラクティブなシステム
  4. 自らが発信者となること
  5. 自由度の高さ

 この記事ではこれらの特性を詳細に論じることはしないが,このようなtwitterにはこのような特性があると考えられる.

2 twitterの公共性・理論編──カントによせて

 twitterの公共性を,「公共哲学の古典」とも呼ばれるカントの「公共性論」を考えながら論じていきたい.
 カントの公共性論は,1784年に刊行された『啓蒙とは何か』でまず明示された.カントにとって啓蒙とは「人間が,みずから招いた未成年の状態から抜けでること」を意味していた.
 また,「未成年の状態」とは「他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができない」ということであった.各自が,他人に頼らずに,自律的に思考し,「知る勇気をもつ」ために不可欠なものとしてカントが強調したのは「自由」であった.

自由さえ与えさえすれば,公衆が未成年状態から抜け出すのは,ほとんど避けられないことなのである

 しかし,その自由は制約されていては,啓蒙を妨げることとなる.
 では,啓蒙を妨げられること無く,成就させるために必要なものとは何であろうか.
 カントが強調したのは「理性の公的な利用」の自由である.カントによれば,各自の「理性の私的な利用」は,各自が何らかの組織の一員である限り,それぞれの立場に応じて制限されても良いのに対し,「理性の公的な利用」は,各自が「全公共体の一員」である以上,それどころか「世界市民社会の一員」である以上,制限されてはならない言論の自由に他ならなかった.このように,善や徳ではなく,万人の「言論の自由」を基準とするところに,アリストテレストマス・アクィナスとは異なる近代啓蒙主義的なカント独自の公共性論があると言って良い.
 また,カントが「啓蒙」について他にも重視している格律がある.『判断力批判』において言っていることは,「拡張された思考の格律」である.これはまず,独断論に陥らずに,他者の思考を柔軟にうけとめて,自分の思考の正しさと妥当性を再検討することである.それだけではなく,他者から批判される以前から「自分自身を他者の立場に置いてみる」ことが必要不可欠だと考えている.このように他者の視点から自分の思考について吟味することで,自分の主観的,個人的条件のなかに窮屈にとじ込められずに,普遍的な立場に立つことができるのである.
 これは,思考するためには他者の視点がそもそも必要であるということである.それなしには思考というものが成立しないのである.
 インターネットはオープンなものである.インターネットという公共圏は,すべての私圏を取り込んでいってしまう.twitterで情報を発信するということは,世界中の人に対して情報を発信することである.「自らの考えを発信する」こと.インターネットにおける公共性を考える時,一番重要なのはこのことなのではないだろうか.

3 twitterの公共性・事例編──東日本大震災の場合

 2011年3月11日に発生した「東日本大震災」では,「ケータイの通話やメールが出来ない」という事態が多くみられた.これは,震災により携帯会社の基地局といった地上のインフラが壊滅状態になってしまったことにより生じたことだ.
 だが,iPhoneといったスマートフォンは,インターネットに接続する時衛星通信を行うので,「インターネットは通じた」という.よって,会社から自宅への地図をネットで出し,避難所ではmixiツイッターで情報を取り,徒歩で家まで帰宅したという事例がネット上ではよくみられた.
 また,災害時の情報収集にもインターネットはよく利用されたという.普通このような災害時には情報収集といえば「テレビ」か「ラジオ」であるが,電波を送信する基地局が震災により壊されてしまい,ラジオ放送が出来ない地域があったという.また,震災による停電,或いは損傷により,TVが映らない地域は多かった.だが,ケータイはあったので,それでネットに繋いでtwitterを読み情報収集をする,という文字通り「ライフライン」となっていた例がある.このようにケータイという,インターネットに繋げるデバイスをほとんどの人間が持っていたということは大きいのではないだろうか.このような事例は,インターネット上にて収集したものなので,実際に「本当に震災時にインターネットが役に立ったのか」という説には疑問の声が上がっていることも確かだ.しかし,インターネットに繋げるデバイスを国民のほとんどが持っているという,大変強い「情報のインフラ」と,twitterという「発信のインフラ」が合わされば,このような震災時に大きな力を発揮すると考えられる.
 また,twitter上では早野龍五という東京大学大学院理学系研究科教授(@hayano)や,東大病院で放射線治療を担当する専門家がスクラムを組んで,東大病院放射線治療チーム(@team_nakagawa)というアカウントを創り,原発事故に関して正しい医学的知識を発信し続けているという例がある.「放射線の知識」という専門性の高い情報の需要が高まっていた時に,使命感をもって情報を発信するという試みは賞賛に値する.
 だが,震災時にtwitterで起きたことはこのような「善いこと」ばかりではない.多くのデマ・流言が拡散し,問題となったのだ.特にtwitterはRT(リツイート)という他人の発言をワンクリックで転送できる仕組みが存在するため,「善意」に基づく呼びかけも「不安」に基づくデマも一様に拡散しやすかったのである.例えば,「コスモ石油千葉製油所の火災によって,有害物質を含んだ雨が降るらしい」といった噂や,「原発事故の影響による内部被曝が原因で,鼻出血や下痢が増えた人が多い」というデマが拡散したのである.
 しかし,twitterの善いところは,こうした拡散しやすいのは「デマ」だけでなく「デマの検証」も拡散しやすい,というところである.確かに多くのデマ・流言が飛び交ったが,それに対する訂正・検証情報も即座に広まったのである.「タンクに貯蔵されていたのは”LPガス”であり,燃焼により発生した大気が人体へ及ぼす影響は非常に少ない」という情報や,「治療のためにヨウ素131をギガベクレル単位で投与(内部被曝)しても,鼻血も出ないし下痢もしない」といった情報が,割りと早い段階で拡散されていた.これにより,ある種の自浄作用が働いていたのであり,twitter上のすべての人々がただデマ・流言に翻弄されていたわけではないことは強調したい事実である.

4 結語

 「インターネットが世界を変える」ということは,それこそインターネットが登場した頃から言われていることである.自分が主張する「twitterを使って発信者となることが,新しい公共性を生み出す」という議論は,それこそ長年言われてきたことではある.
 しかし,ここで2011年1月に起きたチュニジアの「ジャスミン革命」のことを考えて欲しい.この革命は,失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジの,政府に対する抗議の焼身自殺の動画がネットに投稿されたことがきっかけで起こったと言われている.政府はマスコミを支配することで,政権に不利な情報を隠蔽してきた.ところが,市民自らがインターネットを通じてデモの情報を発信・拡散することにより,騒動が拡大し,ついに政権を崩壊させるまでに至った.この革命は,「市民自らが発信者となる」ことが重要だったと言えるのではないだろうか.
 ネット社会において「発信者の倫理,責任の所在」を意識することは重要である.他者を意識し,他者と対話し,自ら発信する.twitter内だけでなく,こうした責任を引き受けることは,実生活の中でも非常に重要なことである.
 また,「自らの考えを発信する」ということは,意見の相違により議論を引き起こすこともあるだろう.しかし,その議論こそ,他者との対話こそが,公共性を担保する要素なのではないだろうか.マイケル・サンデルは,著書『これからの「正義」の話をしよう』の中で,以下のようなことを言っている.

公正な社会を達成するためには,善良な生活の意味をわれわれがともに判断し,避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない.
所得の分配であれ権力とそこから生じる機会であれ,すべてをそれ一つで正当化できるような原理あるいは手続きを,つい探したくなる.もしも,そのような原理を発見できれば,善良な生活をめぐる議論に必ず生じる混乱や争いを避けることができるだろう.
だが,そうした議論を避けるのは不可能だ.正義にはどうしても判断が伴う.(中略)正義は,ものごとを分配する正しい方法にかかわるだけではない.ものごとを評価する正しい方法にもかかわる.

何もかもを解決してくれるような,完全なる理論は存在しない.それぞれの課題ごとに議論を重ねて,1つずつ解決していくしかないのだろう.
その時に,twitterはどのように役に立つのだろうか.どんな役割を果たすのだろうか.
twitterのような情報技術は,社会を変えうるのだろうか.それとも技術が社会を変えるということは無く,むしろ社会の側こそが技術のあり方を変えるのだろうか.
twitterが今後社会を支えるの「礎」の一つとなりうるのだろうか.それともtwitterは,単なる「一ネットサービス」に過ぎないのだろうか.どうやって哲学的・倫理的に決着をつけるか.議論を続けるしかない.
筆者としては,twitterを含めた,インターネットの「可能性」に懸けてみたい.「社会のあり方」や「新しい政治の形態」を議論するような,「インターネットを利用した仕組みづくり」も今後の課題と言えるのではないだろうか.