「手塚治虫のブッダ−赤い砂漠よ!美しく−」感想・考察

映画「手塚治虫ブッダ−赤い砂漠よ!美しく−」を観てきた.
色々と思うところがあったので,考察・感想を記事にした.

原作「ブッダ」について

原作の「ブッダ」は,1972年8月という「円熟期」に連載が開始され,掲載誌が「希望の友」「少年ワールド」「コミック・トム」と代わっていき,1983年に連載が終わるという,実に足かけ12年に及ぶ作品である.*1
全7部3000ページという,手塚治虫作品の中でかなり長い部類の長編漫画だ.

また,手塚治虫の漫画は1ページにおける「情報密度」が高いことで知られている.
これには理由がある.
若い時は「月刊漫画誌」で掲載していたため,少ないページ数で読者を来月まで惹きつける必要があったのだ.
1ページに大量の情報を入れるのは,それ故に磨かれた「情報圧縮能力」或いは「構成力」である.*2
故に,潮ビジュアル文庫版で全12巻だが,その密度はかなり「濃い」*3

この作品に対する評価は高く,手塚治虫のライフワークといわれている作品「火の鳥」のような,手塚治虫の「生命観」がとても良く出ている.
尤も,「ブッダ」の連載は雑誌『COM』休刊により「火の鳥」が連載中断となったとき,新潮社の少年雑誌「希望の友」で連載を続けないかとの申し出があり,手塚の方から『火の鳥』はややマニアックなので,同じテーマでもう少し少年誌向きのものをということで提案されたものだという.
すなわち,ブッダ」は「火の鳥」の主題の変奏である,といえる.*4
また,アメリカ合衆国でも高い評価を受けており,2004年および2005年のアイズナー賞*5最優秀国際作品部門を受賞した.


ストーリーについて

この映画では,原作の全7部のうち1部と2部をミックスして構成している.
それでいて上映時間は111分なので,省略している部分が多い.
特に「その当時のインドの階級制度」といった予備知識が必要なところが少なかった.
文字ではなく映像として語っている部分も大きいが,初見では分かりづらいのではないだろうか.
また,1部のストーリーと2部のストーリーを同時並行的に描いているので,話の散漫感がある.
原作では1部はチャプラのストーリーで,それが完結したら2部のブッダのストーリーが始まる,という構成である.
それに対して映画では,チャプラのストーリー→ブッダのストーリー→チャプラ→…といった感じなので,「ダブル主人公」のような印象を受けた.
尤も,原作においても「ブッダ伝」としての部分と,「物語として面白いモノを描く」部分があり,全体として考えたとき統一性に欠けていたので,いっそ「ダブル主人公」のようにした方が良かったのかもしれない.
このことについて,手塚治虫は以下のように語っている.

仏陀の生きざまだけでは,話が平坦になってしまうでしょう.
その時代のいろいろな人間の生きざまというものを並行して描かないと,その時代になぜ仏教がひろまったか,なぜシッダルタという人があそこまでしなければならなかったか,という必然性みたいなものが描けません.
ですから,仏陀とまったく関係ないような人を何十人も出して,その人たちの生きざまもあわせて描く.*6

この作品におけるブッダ=シッダルタは,始めから"聖人君子"として描かれていない.
悟りに到達しようと,葛藤したり苦悩したりする"人間"として描かれている.
そして「生きるとは何か」と考えさせる人間ドラマが多数存在する.
伝記ものでありながら,ブッダだけの物語ではない──そんなところが,この作品の魅力といえる.


映画特有の感覚

映画に特徴的であって,原作ではそうではない部分に「動物の描き方」がある.
この映画での「動物」は,かなり「写実的」「リアル」である.

しかし原作での「動物」は,「キャラクター的」「ディズニー的」である.*7
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この描写の違いは,ちょっとしたことに思えるかもしれないが,かなり大きな差異に感じた.
「映画」の動物は,間違っても喋りそうにないが,実は原作の動物はたまに喋ったりするのだ.
まぁ「喋る」といっても「ジャングル大帝」のようにキャラクター化されたものではなく,「ギャグ」として,なのだが.*8
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また,「ダイバダッタの幼少期」では,ストーリー的必然性をもって「動物と会話する」シーンが出てくる.*9
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このような描写は,映画のような「リアル」な動物では難しいのではないだろうか.
コメディパートでも喋りそうにない,「リアル」な動物が登場する世界観.
これが映画特有の「真面目さ」に繋がっている.

原作にあって映画に無いモノ

手塚治虫の作品には,実はとても「ギャグ」が多い.
例えば,タッタの台詞に以下のようなものがある.

タッタ「健康によくねえな.酒でものんでみたらどうだ
この頃は若いオフィスガールでもビールはガブガブのむぞ」*10

もちろん,ブッダの時代にビールなど無い.
しかし,登場人物がまるで現代を知っているかのような発言をする.
他にも「医者を呼ぶ」というシーンで手塚治虫本人が出てきたり,お茶の水博士が出てきたりする.(その際「この人物マチガイ!」という自己ツッコミが入っている.*11
このような「メタ的」演出──登場人物が漫画であることを自覚しているような演出──が手塚治虫の漫画にはよく見られる.*12
これは「ネタ」であって,シリアスな場面ではあまり似合わないかもしれないが,漫画の中の緩急を付けるという意味では効果的だと思われる.
ところが,この映画にはそのような「笑い」の部分が無い.
それ故に,この映画全体に「重さ」あるいは「真面目さ」のようなものがあるのではないか.
確かに手塚漫画は「重い」.
しかし,どこかにユーモアというか「おもしろさ」があるのだ.
日本の映画では「コメディパート」を軽視したり,入れたとしても「スベってる」ことが多いのだが,手塚的ユーモアのセンスを入れて欲しかった.


声優について

ナレーション / チャプラの母役が吉永小百合,チャプラ役が堺雅人スッドーダナ王役が観世清和,シッダールタ役が吉岡秀隆と,いわゆる「芸能人キャスト」だったが,一部を除いて特に気にならなかった.
他の役者は折笠愛竹内順子永井一郎水樹奈々櫻井孝宏大谷育江といったベテランの声優陣を揃えているし,声の演技面で不満は無かった.

この声優陣の中でとても良かったのが,パンダカ役の藤原啓治であった.
主人公に"戦い方"を教え,上昇志向で,殺し合いの好きな,「ガンダムOO」におけるアリー・アル・サーシェスのような「悪役」だった.
ちなみに,原作においてのパンダカは,シッダルタの妻であるヤショダラを寝取ろうとしたりする,もっと「嫌な奴」だったのだけど,映画ではそのようなエピソードがカットされている.
結果として「嫌な」部分が少なくなっているところが,逆にキャラとして原作よりも良くなったのかもしれない.
藤原啓治無双」のいった演技が楽しめるので,ファンの方は是非観てみることをオススメする.


まとめ

色々と語ってきたが,総合的なクオリティは高かった.
何より,自分はこの「ブッダ」という作品の大ファンなので,映像化は単純に嬉しい.
全3部構成らしいので,今後の作品も観ていきたい.

2011年は法然上人800年大遠忌と親鸞聖人750回大遠忌である.
仏教に興味が無い人も,日本人の思想には仏教的精神・哲学が深く根づいていることは知っているだろう.
これを機会に,今だからこそ,ブッダを学んでみてはどうだろうか.

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

ブッダ 1 (潮漫画文庫)

ブッダ 1 (潮漫画文庫)

ブッダ 2 (潮漫画文庫)

ブッダ 2 (潮漫画文庫)

ブッダ 3 (潮漫画文庫)

ブッダ 3 (潮漫画文庫)

ブッダ 4 (潮漫画文庫)

ブッダ 4 (潮漫画文庫)

*1:潮ビジュアル文庫版「ブッダ」第1巻 呉智英による解説より

*2:ジャングル大帝」(1950年〜1954年)といった初期の作品を読むとそれが顕著に現れている.

*3:おそらく今の漫画家が同じようなことをしようとしたら,巻数は30巻以上となるのでは無いだろうか.

*4:潮ビジュアル文庫版「ブッダ」第3巻 村上知彦による解説より

*5:アメリカで最も権威ある漫画賞の一つで,「漫画のアカデミー賞」と呼ばれている.

*6:公式ホームページ内の「手塚治虫」メッセージ.或いは『手塚治虫の「ブッダ」読本』収録の手塚治虫インタビュー

*7:潮ビジュアル文庫版「ブッダ」第1巻p.19

*8:潮ビジュアル文庫版「ブッダ」第4巻p.26

*9:潮ビジュアル文庫版「ブッダ」第4巻 p.156

*10:潮ビジュアル文庫版「ブッダ」第3巻p.80

*11:潮ビジュアル文庫版「ブッダ」第2巻p.63

*12:他の漫画のキャラクターが登場する「スターシステム」も,メタ的演出の一種であると思われる.「ブッダ」の中でもこれは見られて,例えば「アッサジ」は『三つ目がとおる』の「写楽保介」である.