ダンタリアンの書架 第12話(終)

ゾンビ騒動で教授や赤の読姫や焚書官やフランも出てくる最終回。
「幻書は進化する」ということで、「新聞」すらも幻書になったり、銃に「変化する」幻書が出てきた。ストーリーでは「幻書をテロの道具に使う」という展開になっている。このような「幻書を巡る構造」が今まで以上に魅力的に描かれていた。
最終回だからか、やけにダリアンが可愛く描かれていた。それはもう、若干濃いほどに。赤の読姫ことラジエルと言い争うダリアンは可愛かった。こういうライバルキャラの存在はやはり大きい。
というか、「書架の少女」ってダリアンのことじゃなかったのか……。キャラデザは全然違うけど、中の人がどっちも沢城みゆきだったから、なんとなく同一人物だと思っていた。「もう1人のダリアン」ということで良いみたいだけど、ここら辺の関係は良くわからなかった。「書架の中の世界」と「現実世界」がリンクする演出が面白かった。
OPテーマ“Cras numquam scire”の日本語訳を読み上げるヒューイ。というか、実際OPのフルではこれが詠唱されるんだっけか。こういうリンクがあるのは面白い。詠唱中にイメージだけで見せられるダリアンの歴史が興味深かった。ダリアンは長く生きているみたいだし、今までのエピソードも気になるなぁ。
そして、2回目登場の焚書官。やっぱり焚書官の方が主人公っぽいな……。一応出番はあったけど活躍が無かったカミラとアルマンに涙。


全体としては、「作画・演出のクオリティは高いし、短編中心のエピソードの完成度も高かったが、何か1つパンチが足りない感じがした作品」という印象を持った。
短編中心だけでなく、幻書を巡るストーリーも並行して描かれており、そのストーリーの方が描写不足だったから、だろうか。幻書を巡るストーリーの方では、焚書官や教授、読姫達の関係性が気になるし、キャラも立っていたので勿体無かった。まぁ、そこら辺は原作で補完すれば良いのかもしれないが。原作でも決着ついていないのだろうし。
特に焚書官は、教授との因縁も気になるところだし、ぶっちゃけダリアンとヒューイは「事件に首を突っ込むけど特に何もしない」というスタンスが多かったのに対し、積極的に事件解決をしたりバトルをしていたのでこっちの方が主人公っぽかった。
ヒューイの目的である「書架の少女」を助けるというのも、解決どころか「それが目的であること」が判明した途端に終わってしまっていたからなぁ……。やはりこういったストーリーとしての軸がはっきりせず、短編中心になってしまった所が「足りない」感じの原因なのだろう。
尤も、その短編のクオリティは前述の通り高かったので、連続ストーリー的な部分と短編中心の部分が巧く噛み合わなかったのが原因、といえるのかもしれない。やっぱこういうことになったのは、シリーズ構成が不在だからとかそういうのだろうか。
それと個人的に、企画やプロデューサー以外で久しぶりにアニメのスタッフとして参加していた山賀博之が気になった。というか、美術監督って一体……。脚本をやっている回もあったし、まさかこの作品で山賀博之の名前をみることになるとは思っていなかったので意外だった。
まぁ結論としては、「ダリアンが可愛かったからそれでOK」ということで。
スタッフの皆様、お疲れ様でした。