「魔法少女まどか☆マギカ」:最終話考察・感想
最終話までのネタバレがあるので注意。
最終話でまどかがとった行動。
それは、「全ての魔女を、生まれる前に消し去る」ことだった。
これまで観てきたインキュベーターによる「呪い」の構造。
「願い」により魔法少女となった後は、いずれ世界に絶望して「魔女」となる。
ならば、「願い」は無意味なのだろうか?
少女達の「祈り」は、間違っていたのだろうか?
まどかは、それに「そんなのは違う」と言う。
「決して、間違いなんかじゃない」と言い張る。
まどかは、「希望を叶える」のではない。
まどか自身が「希望」となったのだ。
「魔法少女」はいずれ「魔女」となってしまう。
このプロセスを止める為には2つの道がある。
「魔法少女になることを止めさせる」か「魔女になる前に殺すか」だ。
ほむらが今までやってきたことは「魔法少女になることを止めさせる」ということだった。
魔法少女になると魔女になることは不可避である。
よって魔法少女になった後は、魔女になるか、その前に死ぬしかない。
「祈り」が「呪い」になるしかないとしたら、祈ることは馬鹿なことなのだろうか。
そうではない、とまどかは信じる。
だからこそ魔女になる前に魔法少女を殺す。
魔法少女が死ぬ際に、魔女という災厄になる前に、消す。
魔法少女になる前に止めることを生の救済とすると、まどかのやっていることは死の救済だ。
以上のように考えると、
「魔法少女になることを止めさせる」方が良いのではないか、と思われるかもしれない。
しかし、よく考えてみて欲しい。
「魔法少女になることを止めさせる」ということは。
「魔法少女になることが間違いだ」ということになるのではないだろうか。
それはつまり「祈り」を否定することになるのではないか?
これまでのことをまとめると、
「魔法少女になるまえに止めよう」としたほむら
「魔法少女=希望を肯定する」まどか
という構造が見える。
ここには、まどか☆マギカでよく見られた、反転構造のような「対比構造」ができている。*1
また、最後の英文が非常に象徴的であった。
―─Don't forget.
──忘れないで。
Always, somewhere,
いつも、どこかで、
someone is fighting for you.
だれかがあなたのために戦っていることを。
―─As long as you remember her,
──彼女を覚えている限り、
you are not alone.
あなたは独りではないことを。
どうして、何のために、彼女は戦っているのか?
それはきっと、祈りのため。
祈ることは間違いなんかじゃないという、祈りのため。
素晴らしい最終回だった。とても、とても感動した。
スタッフのみなさん、本当にお疲れさまでした。
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*1:さやかと杏子のキャラ造形は対比構造が見られる。他にも、この作品には色々と対比的構造が多い。