BLOOD-C 第12話(終)

BLOOD-CのCは”Comedy”のC、つまりは「茶番(Chaban)」だったんだよ!!な、なんだってー!!!な、壮絶なる「劇場版へ続く」END。
野島健児なナレーションは、やはり文人と小夜との会話の事だった。興味深かったのは、小夜自身は「変わらない」ことを望んでいたという点。文人としては「変わって欲しい」と思っていたようだが、何のために「変わって欲しい」のか。文人の思惑が明かされるどころか、こんな大掛かりな仕掛けを作って何がしたいのかという「意図」すら不明という……。なんか余計謎が増えたような気がするのだけど!?
その後のクズ野郎一掃劇は、逃げ惑う中パンチラしたり内蔵チラしたりと凄い展開に。まぁ、規制で真っ白だったんですけどね!!男キャラである時真はあっさり殺しておいて、女キャラのノネノネは逃走劇を魅せるという所の「判っている」感が流石。特にノネノネは、一方を生贄にして逃げようとする屑っぷりをみせつけたり、双子だから「半分」にしたりとキャラを活かした殺し方だった。
そして、双子はレイアウトや規制で見えないようにしていたパンチラを先生では解禁していたところが面白かった。いや、別に見えて嬉しいとかそんなんじゃ無いのだが、年増は見せてもOKと判断するというのが。そして、「刀で無ければ古きものは倒せない」というのを、あっさりと「そういう設定なだけだよ(はぁと」と言い切るメタ発言に笑った。
唯芳とのバトルは、「父」という設定だったものと闘うというシチュエーションといい、鬼への変形といい、刀同士のバトルといい、ハイクオリティなアクションシーンだった。スピード感溢れる殺陣は見事。そして相変わらず出血量が凄い。
その後のウサビッチみたいな、八頭身モナーみたいな古きものとの、「お芝居の終了」シーンも唖然とさせられた。委員長とのラブシーンは割りとどうでも良いのだが、エキストラの「掃除」と言わんばかりの古きものによる大虐殺と、銃での掃討は壮絶なものだった。というか、東京都知事になりたがっていた優花さんはガチで年増だったのね姉御肌じゃなかったのね!!
そして、結局文人に一矢報いることも人々を守ることも出来ずにやられてしまった小夜だが、再起を誓って立ち上がり走っていく……というところで「劇場版に続く」END。
いや、まぁ、劇場版制作はTVシリーズ開始前から判っていたこととはいえ、ここまでぶん投げて終わるとは!!確かに以前インタビューで「劇場版はTV版を観ていなくても問題無いように創っている」と言っていたが、TV版で明らかになってのは「敵は文人さんである」ということだけなんじゃあ……。結局この作品における「小夜」とはなんだったのかとか、「古きもの」とは何かとか、TV版で判明したことは恐ろしいほど少ない。


総評としては、「劇場版前の繋ぎの作品だが、構成や仕掛けが面白かった作品」という印象。
3話くらいまでAパートは学園ラブコメ、Bパートはアクションという「定型」を繰り返していて、4話目くらいから少しずつ「差異」を創りだし、5話で決定的に定型が崩れ、10話でTVシリーズそのものを壊し始め、最終的に「劇場版へ続く!」という構成は、批判も当然出てくるとは思うが個人的には非常に面白かった。というか、こういう企画が通ったということや、こういう「仕掛け」にしようとしたところが凄い。すっかりこの作品の代名詞となった「茶番」発言の衝撃は忘れられない……。
小夜という人物像の背景の書き込みが不足していたり、なんでこの町や学校は主人公周りの人間以外の描写が少ないんだ?という疑問や、こんなCLAMP服や厨二病的苗字はありえねぇよという突っ込みまでもが、すべて「そういう仕掛けだったのだよ!!」というメタ発言で済ましてしまったところは評価に値すると思う。
他にも、ネタとして「珈琲には何か入ってるんじゃないの?」だとか「ギモーヴの食感?人間の心臓じゃねぇの?」ということを言っていたのだが、本当に「その通り」だったのでビックリした。「町自体が実験場なのでは」とか「学園パートが寒い」とかをそのまま伏線にするという力技には本当に驚嘆させられた……。
作画演出的には、なんといってもアクションシーンの流血描写が素晴らしい。流石「ドクロちゃん」の監督と言わざるを得ない。一歩間違うとギャグ、というかマジでギャグっぽくなってた部分もあったのだが、こういうC級テイストのアクションシーンは嫌いじゃない。むしろ好き。つか、低予算ホラー映画ってこんな感じだよね。
「完結」は持ち越しとなっていて、DVD・BDの売れ行きは残念な感じになっているみたいだが、これからの劇場版の完成度に期待したい。
ひとまず、スタッフの皆様、お疲れ様でした。